私たちが生きる意味を知って、いまが辛い人に気づいてほしい

皆さんは何のために生きていると思われますか?

私は若い頃はそんな事を思うことは無かったのですが、娘が亡くなった後から私はずっとこの事について考えています。

なぜ生きないといけないのだろう…

二番目の娘と一緒にいる時間がどれだけ尊いものだったのか、毎日何気なく過ごしてきて大切な事に気付かなかった自分に後悔しかなく、もっとこうしてあげればよかった…もっとたくさん話せばよかった…と、今も後悔の気持ちしかありません。

この気持ちをずっと背負いながら、これから先、生きていかなければならないのが辛いです。

私も早く死んで娘に会いたい、と何度も思います。

しかし三番目の娘をおいては勝手に死ねない、という責任感だけで生きてきました。

かなりのショックを受けた娘のケアも必要で、共に悲しみを慰め合いながら、二人でいる時間を大切になんとか過ごしてきました。

その娘も今年、いよいよ進学で家を出て行き、残された私はこれから何をして生きていけばいいのか、何のために生きているのか、前にも増して生きる意味がわからなくなってきました。

当然、死ぬ勇気もないのですが…。

 

なぜ娘は亡くならなければならなかったのか

それを知りたくて、いろいろな書籍やインターネットなどで調べて情報を探しました。

その中で、人間は肉体がなくなっても魂だけは生き続けるという事を知りました。

それが事実かどうか私も知り得ませんが、しかし、まんざら嘘でもない気がしています。

ちまたでは「輪廻転生」「胎内記憶」「生まれる前の記憶がある人」という動画や本が出ていて、地球に生を受けて生まれる前に、この人の子どもとして生まれたい、とお母さんを選んで生まれてくるとか。

そして、様々な苦しみや悲しみなどの人生の修行をある程度決めて生まれてくるそうです。

それは人それぞれで、その魂の段階に応じた修行をして、魂を磨いていくのだそうです。

娘は母親として私を選び、親の離婚や短い人生の中にも色々な苦しみを経験し、修行が終わったから亡くなった…

そして私は、娘の死を通して共に過ごす時間の大切さや後悔のないように日々を生きる大切さを知らされた

これは全て、娘にとっても私にとっても、この世で経験するべき修行だったのでしょうか…

 

 

娘に与えられた運命?

確かに、亡くなった娘は親が言うのもおかしいですが、とても素晴らしい人でした。

親として思うだけでなく、おそらくこの世界にとっても大切な人を亡くしてしまったと思いました。

これまで何度も輪廻転生を重ね、魂がとてもキレイな事は一目瞭然です。

物欲がなく、執着もなく、いつも穏やかで明るい子でした。

小学生の頃から友達に「ママ」と呼ばれるほど信頼があり、亡くなった後にお参りに来てくれた友達からは「人格者」と言われる人になっていました。

そんな子が私のお腹から生まれてきてくれて、まるで天使がうちにきてくれた気がしています。

いい人ほど早く亡くなると聞いた事がありますが、こんなに早く亡くなるなんて。

家族はもちろんですが、娘と関わってくれた人はみんなショックが大きかったと思います。

その事で一人ひとりが何を思ったのでしょうか…

大きな気づきを人々に与える為に、そのような運命を背負って娘はこの世に生まれてきてくれたのかとも思うのです。

人生とは何でしょうか。

私のこれまでの人生は、幸せだったなぁと思う事があまりなくて。

辛いこと悲しいことが多く、人生は修行ばかりなんだと思います。

神様、私はなぜこんなことまで経験しないといけないのですか?と問いかけたいのです。

でもそれは私だけではなく、災害や事故などで大切な人を亡くされた方も同じだと思います。

神様は「乗り越えられない試練は与えない」

正社員で働く日々は多忙で、仕事中はそちらに集中していますが、ふとした瞬間や休日で家にいる日は、涙が止まらない時があります。

目がパンパンに腫れて、誰にも会いたくありませんし、喋りたくない。

もうこれ以上修行はよいのではないでしょうか… もう十分にいろいろな事に気づかされました。

ちゃんと満足に出来ていませんでしたが、子育てが趣味だった私から子供をとったら何も残りません。

私が生きている意味はもう無いと思うのです。

この試練は乗り越えられません。

後悔のない日々を

でも、もう人生を辞めたいと思っても、勝手にはやめれません。

命が燃え尽きるまで勝手に炎を消すことはできない。

例え、寂しくても、苦しくても、辛くても、生きる事をやめてはいけない。

それは神様との約束だからです。

 

 

私たちが毎日生きる意味は、苦しくて辛い経験を重ねることにより、何かに気づき、成長しながら魂をみがくための修行であることは間違いないと思います。

しかし、それらの経験により、自分の考え方に少しずつ変化が現れ、生活する中で小さな幸せを見つけていけるようになれば、それはもう苦難を乗り越えたということと同じです。

私は日頃、会社や人前では明るく過ごしているので、この心の奥にある悲しみに気づいている人はいないと思いますが、私のように人のいない所で泣いている人は多いと思います。

三回忌を終えた今でも、思い出して嗚咽するほど泣くことが度々あります。

そのように人は外見からは分かりませんが、みんなそれぞれの立場で悲しみを抱えながら生きていると想像します。

私も何度時間をリセットしたいと思ったか数知れませんが、過去には戻れないのは確かなことで、どんな時も前を向いて生きていくしかないのです。

悲しみのどん底にいる時、苦しいのは自分だけではないと心を保ちながら、まずは立ち上がって前を向いてほしいと思います。

雨が降ったあと虹が出るように、たくさん泣いた人にはきっと良い事も必ずあります。

人生を終える時に辛いこともあったけどいい人生だったと思えるような生き方をしたいですね。

人に優しく、自分にも優しく。

お互いに、ゆっくりと頑張って生きていきましょう。

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