昨今の地震や津波などの災害で、身近な人を亡くされた方に対しての周囲の人の接し方としてお役に立てればと思い、私が娘を亡くした時のことについて書いてみようと思います。
娘が亡くなってもうすぐ三年が過ぎようとしています。
ようやく心も落ち着きを取り戻してきて、仕事をしている間は集中しているので思い出すことは少なくなりましたが、たまに仕事で外出する事があり、娘が亡くなったあの日と同じ良く晴れた日は、あの時の事を鮮明に思い出し、とても辛く悲しくなります。
その日、いつも通り仕事をしていた私に、家族から緊急の連絡が入りました。
上司に一言伝え、急いで帰り支度をする私は、一瞬気を失いかけて倒れそうになったのを覚えています。
駐車場まで走って行きながら、「神様!お願いです!助けてください!!お願いです!神様!!」と叫びながら無我夢中で走りました。
その日に限って携帯電話を自宅に忘れ、家族は私の会社に一報を入れてくれたのですが、どこの病院に運ばれたのか知るすべがなく、車で会社を出たあと近くの公衆電話で119に電話をかけ、娘の病院をおしえてもらいました。
病院に駆けつけると、私の母と泣いて顔を真っ赤にした娘がそこにいました。
私はあまりに突然のできごとで現状を把握することができず、夢の中にいる感覚でした。意味がわかりませんでした。「早く夢からさめて」と何度も思いました。
亡くなった直後
娘は病院に運ばれた日の夜に亡くなり、病院を出たあとをどうするか、考えなければならない事に追われ、あっという間に時間は過ぎました。
息子に運転してもらい、市役所に手続きに行きましたが、窓口の方の対応にうつむきながら答えることが精一杯でした。
人は、心が深く傷付いている時、声を出す元気もなく、まるで寝ている時のような深い低い呼吸しかできません。もちろん、思考力も落ちていて、食事の用意などとても出来ませんでした。
そして、伏目がちなので身の回り数メートルしか視界が及ばないというか、遠くを見る力はなかったです。
しかし、夜は目をつぶることが怖く、あまりのショックに吐きそうになるので、母が持っていた精神安定剤を飲んで寝ていました。今思えば、薬に助けられたと思います。
亡くなって一週間から十日後
一週間から十日過ぎた頃、もう一人の娘も学校に行かないといけないし、私も出社しなければならず、強制的に元の日常に戻りました。
会社には娘の事をお知らせしたのですが、大ごとにしないでほしいと伝えてもらっていたので、知らない人も多く、私は元気はなかったと思いますが普通に出社して仕事をしました。
仕事中はそちらに意識がいっているのですが、ふと気を抜くと涙が出てしまうので、トイレに駆け込んでは泣いていました。
仕事を終え、帰りの車では娘を迎えに行っていた時を思い出し、大泣きしてハンカチで涙をぬぐいながら運転していました。
仕事は忙しくて会社に行くと気が張っていたので、娘が亡くなった現実から少し遠ざかる時間があることで、会社と家で気持ちのON・OFFの切り替え訓練をしていたように思います。
そのことを知っている同僚が何も言わず聞かず、ただ背中をさすりながら笑顔でほほえんで励ましてくれた事に救われ、癒されました。
一番辛かったのは、総務に挨拶に行った際、個室に入って事情を聞こうとしたのでしょうが、開口一番、大きい声で「どしたん?!何があったん?!」と聞かれたことでした。その声の大きさと気遣いのない言葉にとてもビックリして、心臓の鼓動も早くなり、泣き出しそうになりました。
弱っている人の心がまったく分からない人だと思いました。
書類に “死亡” と書くことも辛かったです。
まだまだ現実として認めたくない気持ちがあるからです。
身近な人が亡くなる事を経験していない人はわからないと思いますが、これを見て参考にしてもらえれば幸いです。
事実を知った時の周囲の対応について
コロナ渦の家族葬でしたし、本当に身近な人しか知らせていませんでしが、やはり少しずつ話は広がります。知ったけど、どう声をかけたらいいのか分からないという人も多く、勇気をもって連絡してくれる人もいます。そうかと思えば、本当は知っていても知らないていで「○○ちゃん元気?」とあえて確認してくる人もいます。
何がよいかは相手と自分の付き合いの深さによりますが、そこまで付き合いが深くない場合は、そっとしておいてくれるのが一番楽です。
逆に今まで仲良くしているつもりの人に、知っているはずだけど何も連絡がないことにも傷つきました。自分からあえて人に伝える事ではないので、仲良くしている人なら一言連絡もらえると心も癒されるのではないかと思います。
そういう事でいろいろあって、娘のことがあって以降、余計に人の心を敏感に感じやすく、人とあまり話したくないと思うようになり、人を避けて生活していました。
もう三年が過ぎようとしていますが、相手がそれを知ってしまうことで悲しませたり気を使わせたり、場の空気が暗くなるのが嫌であまり言わないようにしていて、話をしている中でこの人は知っているんだろうなと思った時にはちゃんと話します。
しかし、中にはそこから根掘り葉掘り聞こうとしてくると、なんだか悲しい気持ちになります。
お願い
私は娘を亡くす一年前に、仲の良かった友人も亡くしました。
そして、その一か月後に、今度は隣の老人の方も亡くなりました。
友人は闘病生活をしていたので覚悟はしていましたが、隣のご老人は突然で、しかも駐車場で倒れられたので、衝撃的で、急に二人の知人を亡くした為に悲しみが深く、少し鬱気味だった気がします。
やはり、近しい人が亡くなるという事はつらいことです。
それから私は死について考える事が多くなりました。
皆さまの近くにいる人がいつ亡くなるかわかりませんし、自分もいつ亡くなるかわかりません。
その時に後悔しないよう、身近な人を大切にしましょう。
また、身近な人を亡くされた方には、温かい目で見守りながらそっとしてあげてほしいと思います。
よろしくお願いします。
私は娘の納骨をしていませんが、このまま家で供養をしながら、心の安寧を保ちたいと思っています。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。