娘が亡くなった後に起きた不思議なこと

軽々しくこのような事をブログに綴るのもどうかとは思いましたが、本当に私が経験した事実なので、皆さまにもそんな事があることをお知らせしておきたくて。

信じる信じないで意見が分かれる事なのですが、最後までお読みいただけますと幸いです。

普段のわたし

まず初めにお伝えしたいのは、私には霊感というものが一切無いということです。

なので私は何も感じないけれど、たまに近しい人に「何か連れてきたね」とか、「何か気持ち悪い。急に吐き気がする」などと言われる事があります。

この近しい人達は、いつも何かが見える訳ではないのですが、何回かは見たことがあり、見えないとしても何か違和感を感じることは出来るとか。

そんな時、私が一つだけ違和感を感じるとしたら、やたら肩が重く感じるということでしょうか。

そんな時はパンパン!と手を叩いて音で払ったり、塩をふって払ってもらいます。

その人達に言わせると、見えない方が楽だと言うのですが、感じる事ができることで良くない場所には近寄らないようにして自分を守る事ができるので、私からするといいなと思うところです。

私は何も感じないので、そんな場所もドシドシ通ったりするでしょうし、その際ついて来られたとしても何も気づかないのですから…。

私のようなバリアもない、弱そうな人間にはそういうものがつきやすいそうです。

ここまで読んでいただいて、何のことだか意味がわからないという方は本当にごめんなさい。。

ここからは、娘が亡くなってから起きた不思議なことです。

最後のあいさつ

本当に何も気づかない鈍感な私ですが、娘のお葬式をおこなっている時、娘が棺から出て棺の右側に立ち、私たちの方に向かっておじぎをしたのを見ました。ちゃんと色もあったので本物なのか夢を見ているのか、びっくりして頭が動転して時間が止まったようでした。

私のただの想像かもしれないと自分に半分言い聞かせながらいたのですが、その時の光景は今でも目に焼き付いています。

スカートを引っ張る

葬儀のあと焼き場に着き、親族一人ひとりが最後の別れのお焼香をする時、私がお焼香をしている時に斜めうしろから誰かがスカートを引っ張ったので振り返ったのですが、みんな手の届かない距離に並んでいて誰も私のスカートを引っ張った人はいませんでした。

あとで家族にも聞いてみましたが、誰もそばには行っていないとのことでした。

触られる

四十九日までの間、七日ごとにお坊さんを呼んで法要をおこなうのですが、泣いている私の頭と肩を誰かに撫でられた気がしました。もちろん家族ではありません。

お線香の匂い

仕事から帰ると、庭にある、娘が大好きだった花木の横でお線香の匂いがした。

家の寝室で寝ていたら、朝方、枕元でお線香の匂いがした。

物音

誰もいない部屋で「ゴトン」と物音がしたので見にいくと、窓も開けていない無風の空間なのに、娘の荷物が落ちていた。

光の柱

娘の仮の祭壇を置いていた和室をふと見た時、シルバー色のような光の柱が、その祭壇から天井に向かって斜めにのびているのを見ました。

天井を突き抜けている感じで。

すぐに光の柱の天井の先を考えましたが、その斜めの方向に部屋はなく、屋根になっていて、外(天)へ繋がっている気がしました。

座布団に落ちていた水滴

三回忌の日、法要と会食が終わり帰宅したあと、私がお仏壇に手を合わせ、子供二人も後ろに座ったので、私が後ろを振り返るような形(お仏壇に背を向けるような感じ)で三人で話していました。

話し終わったあと、私がもう一度お仏壇の方に向こうとしたら、座布団の上に2滴の水滴が落ちていたんです。

その周りには水気のものはなく、お仏壇に飾っている花瓶はありますが、誰もさわっていないので、水が散ることもなく、水滴の位置からして、娘が私の背中にいて一緒に話に参加していたのだろう、娘の涙に違いないとその時思いました。

いかがだったでしょうか。

娘が亡くなってから、なぜ娘はこんなに早く亡くならなければならないのか、どうして?なぜ?という疑問から、本やネットでいろいろ検索しました。

その中で、「魂」とか「輪廻転生」などの言葉に触れ、人間は亡くなった時、その体から魂が抜け、そしてその魂は天に昇ったあと、またいつか生まれ変わるという事が書かれていたのをいくつも拝見しました。

また、死後の四十九日間はこの地上に魂はいることができるような意味あいの事も目にしたので、私が感じた現象も四十九日頃までが多かったことで、それらの情報を信じることができました。

自分がこんなに亡くなった人を感じることが出来ると思っていなかったので、私自身、本当に驚いています。

私は娘以外は感じないので、今はほとんど感じる事がなくなっていますが、三回忌のような時には降りてくることもできるのでしょうか。

今となれば、あの時優しく触れてくれたり、そばにいて悲しむ私たちを見守ってくれていたんだと思うと、「ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいになります。

娘も突然の現実に戸惑いながらも、私たち家族のそばにいて、一緒に現実を受け入れていたのかもしれません。

私たちの知らない世界

このように、私たちがいるこの現実世界では見えない何かがあるという事は想像いただけますでしょうか。

また、最近では、生まれる前の記憶がある子供たちがいて、いろいろ話を聞いているとみんな同じ様なことを言っているという事を聞いたことがありますか?

先ほどの魂と体は別々のもので亡くなった体から魂が抜けていくという話の逆として、子供たちは生まれる前に空の上からどのお母さんのお腹に入るかを決めてくるそうです。

そして、お母さんのお腹に赤ちゃんができたら、その赤ちゃんの体に魂が入っていくということです。

また、生まれる前には、次はどのような人生にするか、何を学ぶかなども決めてくるそうです。

敬宮さま(愛子さま)のおはなし

令和の天皇皇后両陛下のもとにお生まれになられた敬宮さま(愛子さま)もそのお一人で、敬宮さまが二歳の頃、皇后雅子さまが「どうしてパパとママのところにきたの?」と尋ねられると、「だってママが寂しそうだったから」とお答えになられたそうです。

「お腹にいる前はどうだったのかな?」

「お空からパパとママを見て、仲良しで楽しそうだったからママのところに決めたの」

「実は生まれる前に一度ママのところに来たんだ。でも忘れものをしたから空に戻っちゃったけど、ちゃんとママのところに戻ってきたよ。だから泣かなくていいんだよ」と語られたそうです。

実際に雅子さまはその五年前に流産を経験されており、その出来事を思い出し涙があふれたそうです。

そのことについて敬宮さまは知るはずもなく、自然とお話されるところが信ぴょう性を高めています。

子供が私を選んで生まれてきてくれたと思うと、親としてとてもありがたいことですよね。

私は3人の子供に恵まれ、どの子も個性的で性格も全然違いますが、本当に幸せだなぁと実感します。

「私のもとに生まれてきてくれて、本当にありがとう」

娘の死は悲しすぎますが、そのことによってこのような事を知ることになり、私自身亡くなることが怖くなくなりました。

また娘に会ってハグしたい。亡くなったらまたできる。と信じ、残された自分の人生を頑張って生きようと思えるようになりました。

私が娘の幸せを願うように、娘も私の幸せを願ってくれていると思うと、めそめそしてられないなぁと。

今生きているこの体は借り物であり、魂は永遠に生き続けるもの。

そして、何かを学ぶために生まれているということを知ると、つらい経験も乗り越えるために与えられていると考えることができます。

人生は山あり谷あり。誰にでも谷はある。それをどう乗り越えるか。

皆さん一緒にこれからも頑張りましょう。

本日は、長々と最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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